昔、八上の郡小河内谷(おごうちたに)と北村谷との間に兵円山(ひょうえんざん)という山があり、大小無数の谷や尾が千谷もあることで知られていた。弘法大師がこの山を高野山のような霊場にしようと考え、ひとまず高野山に戻った弘法大師は千の谷に仏像を一体ずつ安置しようと仏像を作り始めました。
このことを知って憤慨したのが、この山に住むアマンジャクでした。「俺の住みかが霊場にされては堪らない」と、知恵を絞り一丘一谷を隠すことを思いつき、土をもっこで担いで海に捨てにでましたが、途中、大路のあたりでもっこの綱が切れてしまいました。そこに残されたのが、雲山と大路山です。
再び兵円山に戻ってきた弘法大師は谷の数をあらためたところ、谷は九百九十九しかありませんでした。そのため、霊場を断念し、千体の仏像をこの川に全て川に流されました。それ以来、この川を「せんたいがわ」千体川(千代川)と呼ぶようになったと伝えられています。