昔、八上の曳田の郷神馬村の奥山に、周囲10町(約1km)あまりの池がありました。この池には毎年夥しい数の鴨が降りてくるので、高草の郷菖蒲村に住む在原清兵衛が、決まって猟に来ていましたが、一族を上げてこの土地に移住し、水口村と呼んでいました。在原清兵衛は在原行平の孫にあたり、松上大菩薩を信心してこの地にお堂を建てました。
この菩薩堂にいつとはなしに白馬が現れるようなり、村人は驚き白馬の足跡を辿ってみると、堂から半里も奥の深山にある洞穴から出て来ていました。この白馬は大菩薩の神馬で、昼間は眠り、夜分は嘶く、菩薩が馬乗馬場で馬乗しておられるのだと村人は信じました。後にこの村を神馬と呼ぶようになりました。
ある夜、清兵衛の夢枕に松上菩薩が立たれ、「汝が信仰深い故にこれまで守護してきたが、わしも忙しい身なので今後この土地を立ち去ることになった。菩薩のことは思い切れよ」とお告げがあり、翌朝、堂に行ってみると本尊が無くなって、白馬も死んでいました。神馬に角があるというので頭を探ると、小さな曲がった角があり、この角を清兵衛が建てた正法寺(しょうほうじ)に納めました。