河原城風土資産研究会
〒680-1242
鳥取県鳥取市
河原町谷一木1011
TEL: 0858-85-0046
FAX: 0858-85-1946

かわはらまる得情報局

ー賣沼(めぬま)神社の「川下(かわすそ)さんと輪くぐり行事」ー

2013年8月6日

先月28日(日)と30日(火)に八上比売をお祀りする賣沼神社で「川下(かわすそ)さんと輪くぐり行事」が行われました。(*^▽^*)

「川下さん」は、東に向かって流れる河川の 一番下流や、川の合流地点・河口付近の神社で行われるお祭りで、福井県から兵庫県北部・鳥取県東部にかけての各地にみられ、川裾(かわすそ)さん、かわっそさんとも呼ばれています。ここ河原町の賣沼神社では「川下さん」と書いて「かわすそ さん」と読みます。 但馬地方では3大祭りとして大きな神事になっているものもあります。主に婦人病や不浄除け、夫婦和合、安産、水害・厄難祓いの神事として古くから親しまれています。

また、「輪くぐり」は夏越神事(なごし しんじ)、六月祓とも呼んで各地で行われています。 氏子が茅草で茅の輪を作り、その輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通って穢れを祓うものです。地域によっては「茅の輪(ちのわ)くぐり」とも言います。

この「茅の輪(ちのわ)くぐり」の起源は、釈日本紀(しゃくにほんぎ:鎌倉時代末期1274年(文永11年)~1301年(正安3年)頃に成立したと推定される『日本書紀』の注釈書。全28巻。)によると、神代の昔に武塔神(むとうのかみ、むとうしん=須佐之男命[すさのおのみこと=素戔嗚尊])が、とある兄弟に宿を頼んだところ、弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は裕福でありながら宿を断り、兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は貧しいながらもお泊めし、もてなしました。武塔神は心の清らかな蘇民将来に正体を明かし、疫病が流行ったときは茅萱で輪を作り、それを腰につけていれば免れるであろうと教えた故事に基いた神事なのだそうです。

以来、疫病が流行すると人々は「蘇民将来の子孫なり」と口々に唱え、「茅の輪」を身につけるようになったと言われます。
疫病の流行しやすい夏を前にした六月(夏越:なごし)の大祓(おおはらい=30日)には、心身の罪穢れを祓い清め、病魔に負けない力を頂けるよう「茅の輪」をくぐる神事が、広く行われるようになりました。 また、除災のために玄関先に「蘇民将来子孫」と書いた札を貼っている家もあります。

時代を経て茅の輪も大きくなり、地域によっては7月に行われるようになりました。

賣沼神社の「輪くぐり」は毎年7月30日で、「川下さん」とセットで行われるようになりました。(はっきりと記録はありませんが、明治の頃からのようです)

さあ今年も茅の輪作りからです。1~6班まである賣沼さんの氏子の中でも茅の輪作りは4班の仕事と昔から決まっています。氏子さんたちも「何故かは知らんけど、お祖父さんのお祖父さんからず~っと4班だったそうだで。」と。               今年は私も少しお手伝いしました。

まずは、束にした茅の葉を少しづつ重ね合わせてなっていきます。手慣れたもので おしゃべりしながらでも大きな輪がみるみる出来上がっていきます。上から縄でグルグル巻いて、繋ぎ目を上手に留めたら一気に持ち上げて支柱に固定します。

足元もしっかり固定して、左右から縄で吊るして円形を整えて、最後に飛び出した葉を切ってお化粧直しします。

今年も見事に「茅の輪」が完成しました。ひと汗かいた後は、みんなで持ち寄ったスイカやおやつで一休み。4班のみなさん、「ハイ、チーズ(昭和の香り)」お疲れさまでした。

夜になって提灯に灯がともると神社の境内はいっそう幻想的になります。夜店が出る賑やかなお祭りもいいけど、こんな静かで素朴なお祭りも心癒されていいな~と感じます。

人形(ひとがた)に家族の名前と年齢を書き、宮司さんのお祓いを受けて無病息災と五穀豊穣を願います。

提灯の小さな明かり以外周りは真っ暗で、足元もよく見えないくらいですが、辺りには他の人たちの気配や話し声が聞こえて真っ暗でもぜんぜん怖くありません。    かえってワクワクするような、停電した時ろうそくの明かりの中で何故だか楽しかった子供の頃に似た感じです。みんなで左回りから八の字に3回くぐってミッション完了です。

今年の夏もみんな元気で過ごせますように!秋には豊な実りがありますように!!  (*^▽^*)ノシシ (おっちー)

 

ー民俗行事「釜焼き」で暑気払い!!ー

2013年7月30日

今月22日(月)に民俗行事を語る会のみなさん主催の民俗行事「釜焼き」が民俗資料館で開催されました。(民俗行事の早口言葉みたいですね)去年は日程が合わなくてお休みした河原城のスタッフも今年は運営に参加しました。

毎年、7月の暑い時期に開催されるこの「釜焼き」は、旧暦6月15日(現在の7月中旬から下旬)に「釜焼きの餅」を作って神様にお供えし、家族も食べて休養・暑気払いをする習わしです。       また、旧暦6月は「水無月(みなづき)」といって水不足になる時期で、水神様に「釜焼き」をお供えして「稲作の豊穣」を祈願したものと考えられます。

この日は、水に関係のあるところに行くことは「禁忌(いみごと)」と避けられていました。子供たちも、河童(かっぱ=カワコ坊主)に水の中に引き込まれたり、「尻子玉」を抜かれると大変怖れて、この日ばかりは絶対に川遊びをしませんでした。しかし、「釜焼きの餅」を食べて行けば大丈夫だと言い伝えられ、子供たちは餅を食べてから川に出かけたそうです。

そんな「釜焼き餅」のレシピをご紹介しますので、みなさんも一度おうちで作ってみてください!

1.新しい小麦粉を練って団子にし蒸す。(現在は、白米で餅をついて作ります)2.餅団子の中にあんこをいれて茗荷(みょうが)の葉でくるみ、鉄釜や鉄板で焼く。

とにかく暑い時期に“かまど”を使っての調理は大変です。

蒸し上がった白米を昔ながらに杵と臼でついてお餅を作ります。河原城の新人男性スタッフが初めての餅つきに挑戦です。慣れないと合いの手のお母さんと息が合わなくて大変です。

つきあがった熱々のお餅を素早く丸めて中にあんこを詰める作業も、慣れないとお餅が固まったり、あんこが飛び出したりと、これまた河原城の若い女性スタッフは悪戦苦闘していました(≧▽≦;)今日のあんこは民俗行事のメンバー手作りの小豆と空豆のあんこです。抹茶色の空豆のあんこはほんのり甘くてとっても美味しいですよ。

そして茗荷の葉を巻いて焼きます。またまた熱さ+暑さとの戦いです!茗荷の葉を巻くのにも謂れがあって、昔から祝い事に”縁起もの”として使われていたようです。

さあ、そうこうしている間にあゆっこ園(幼稚園)の子供たちがやってきました。昔ながらの民俗行事を子供たちに体験してもらうのが目的の一つです。みんな順番に恐る恐る餅つきに挑戦した後はお待ちかね、みんなで「いただきます!!」

「ごちそうさまでした!!」さあこれで、みんな水遊びしても大丈夫だし今年の夏も元気に過ごせるよ!!

まだまだ暑い日が続きますが みなさん体調にはくれぐれも気をつけて、元気に夏を乗り切りましょー!!

それではまた お会いしましょう~(*^▽^*)ノシシ (おっちー)

ー「三十五周年「鮎(あい)ばぁさり~」出逢い・ふれあい 河原町あゆ祭り 実行委員会ー

2013年6月25日

第35回「出逢い・ふれあい 河原町 あゆ祭り」。今年は8月3日(土)に35周年記念大会として盛大に開催されま~す!!今年のテーマは『昼からてんこ盛り』。二転三転してやっと落ち着いたのがこのテーマですが、テーマと言うより『意気込み!??』ってカンジでしょうか。

半年前の2月から始まった あゆ祭り実行委員会ですが、5月から本格始動を始めてまず今年の記念大会をどうするか!? 記念大会らしく何か“スペシャル”を企画するのかどうかということ。本当はお金をかけてやりたいところですが、結局みんなで知恵を出してそれに代わるモノを手作りでやっていこうと決めました。(たぶん、お祭りをしている実行委員会はどこも財政難で大変な思いをしてるのはウチだけじゃないと思います)とにかく以前からの課題を解決しよう!(`・ω・´)

昼間は子供広場や鮎のつかみどり・鮎の塩焼きコーナー、激闘川下りレースなど会場の各コーナーでのイベントは盛り上がるんですが、なにしろ炎天下のステージ前にジッと座って観覧するのが大変で、お目当てのイベントのみ参加・観覧するというパターン。コーナーイベントの合間ステージ上では何もしてないので、その時にお客さんが帰らないようにするには、ステージパフォーマンスを充実させること!! 言うのは簡単ですが、いざとなると次々と問題発生……(T_T)ドンドン日程は迫るし本当になんとかしないとヤ・バ・イ!!(いつもはもっとお上品です(笑)) 日頃の行いが良かったのか(きっと私以外のメンバーだな)あゆ祭りを応援したいと言ってアマチュアからアイドルまで出演を申し出てくださいました。感謝、感謝!です。「ヨッシャー!これで昼間もてんこ盛りだーー!!」←(心の叫び&心の中でガッツポーズ!! っていうか、『てんこ盛り』の説明 長すぎっ!)

ポスターも刷りあがって本番まで2か月を切った今日(17日)は、6回目の役員会と有志で中締めと本番に向けての懇親会です。会議室が飲み会の席に早変わり。行く先々で“ポスター貼らせて攻撃!!”をする実行委員会メンバー。(モデル:副会長の㈲中村建設社長の中村佳紀さん)

今年の企画の成功のカギは、商工会青年部が握っていると言っても過言ではナイ!!…たぶん…(笑) そして今年もノリノリの名コンビは左から、れんざき設備の蓮佛 進さんと ㈱長谷板金の長谷幸治さん。 さあ、実行委員のみんな暑い夏はこれからだー!本番まで頑張っていこうー!!(*≧∀≦*)ノシシ (おっちー)

 

ー 「第2回 かわはら健康ウォーキング」開催!ー

2013年6月21日

今月16日(日)河原まちづくり協議会(山田延孝会長)主催の「第2回かわはら健康ウォーキング」が開催されました。ずっと晴れて夏日が続いていましたが、今日は曇り空です。こんな日こそウッカリ日焼けに御用心。私は上方往来のガイド役としてウォークにも参加しました。(*^▽^*)

「かわはら芝広場」で受付をしてみんなでスタート!コースは、お城山展望台 河原城 → 渡一木(わたりひとつぎ)神社→ 河原第一小学校→ 樋口(ひぐち)神社→ 上方往来→ かわはら芝広場ゴール。各チェックポイントには地元クイズの出題が。正解者の中から抽選でナント豪華賞品が当たります。

それでは出発!最初のチェックポイントは河原城へ登る坂道の入り口に。

 

 

そして河原城目指して、本日の最初にして最大の難所に参加者は  挑みます!! と、大げさにしているのは私と運動不足の数人だけかも……、他のみなさんは日頃からの健脚ぶりで頂上まで楽しくウォーキング。トイレ休憩をして河原城のPR案内をして、出発です。

 

次は渡一木神社 です。ここでは氏子総代の前田重利さんから神社のお話を聞いて、参加者みんなでお参りしました。【渡一木神社:創立年代不詳。祭神は素戔嗚尊[すさのおのみこと]伊弉冉尊[いざなみのみこと]塩土老翁命[しおつちのおじのみこと]。村で祀られていた荒神さんが始まりとされており、古来より災害などからまもる為に信仰されていた。明治になり三神が合祀され渡一木神社と改めた。】

神社を後にして、渡一木の村中を散策。

ここ、滑りやすいので気をつけて!

お城山の斜面に出来た村の道は急な坂道も多いですが、こうやって歩いてみると石垣や路地や家並みが懐かしく、心和む空間ですね。

渡一木公民館前で河原まちづくり協議会の企画委員でもある地元の岸本紀明さんから地域のお話を聞きました。

 

古い公民館の横には消防車の格納庫が今でも健在です。斜面の細い路地には消防車が入れないので、自警団や消防団の人たちと初期消火で活躍していました。この鐘も現役!?

村を抜けて河原第一小学校前を通過して次のチェックポイントへ。

鹿野城主・亀井玆矩公(かめい これのりこう)が作った大井出用水(おおいでようすい)に沿って行くと樋口神社にたどり着きます。ここでは地元の氏子・米沢正幸さんから樋口神社についてお話をうかがいました。【樋口神社:創建は不明。元はお城山の麓の岩穴の祠に祀られていた稲荷大明神。大井出用水完成から50年後、関係部落28カ村で水の守り神として安芸の宮島・厳島神社の祭神:市杵島比売命[いちきしまひめのみこと]を勧請し、大井出用水の守護神として合祀した。社名は取り入れ口の樋門から。】

上方往来を散策しながら、もうすぐゴールです。(上方往来:江戸時代、参勤交代をするために大名行列が通った街道で、河原町は当時“上の茶屋[かみのちゃや]”と呼ばれていた。この道の周辺に商家や民家が集まり、河原の町並みの中心になった。江戸時代から“鮎の町”として鮎料理の店が立ち並び、また、きれいな水と良質な米で造り酒屋が多い時で六軒も軒を並べた。)

 

さあ、ゴールのかわはら芝広場に到着。歩いたり、休んだり、クイズに頭をひねったり、おしゃべりしながら町の歴史を学んだりと、「あっ」という間の二時間半でした。

婦人会の方たちが用意してくださった豚汁(暑い時に食べる熱々の豚汁がまたいい)とチマキをいただいて、お楽しみ抽選会で今日の「第2回かわはら健康ウォーキング」はお開きとなりました。参加者のみなさん、河原まちづくり協議会の役員のみなさん、お疲れ様でした。次回また元気にお会いしましょう―!!(*≧∀≦*)ノシシ(おっちー)

*おまけ* 今日のチェックポイントクイズです。みなさん解りますか!?

 

ーあゆ祭り「こぼれ話」~ 子供あゆ太鼓の体験から生まれたチョットいい話ー

2013年6月14日

今年もこの季節がやってきました!子供あゆ太鼓の練習の季節が!!

毎年8月の第一土曜日に開催される「河原町 あゆ祭り」今年は8月3日(土)に35周年記念大会が盛大に開催されます。そして、町内の3つの小学校4年生が合同で「子供あゆ太鼓」を披露するのも祭りの大きな楽しみになっています。平成元年から始まった「子供あゆ太鼓」は毎年5年生から新4年生へと引き継がれて、「まるで伝統芸能みたいだ」と自分たちの太鼓に誇りを感じている子も少なくありません。その練習が毎年5月の中旬から本番前日まで続きます。

ご縁あって5年前から各学校を毎週2~3日程度 太鼓の指導で伺っています。町内の太鼓の数に限りがあるので、各学校を2~3週間づつ太鼓が移動して本番直前の3校合同練習までそれぞれ頑張っています。

先週から河原第一小学校の練習が始まりました。今週3回目の練習日は3、4時間目でしたが、練習に熱が入り時間を少しオーバーしてしまいました。給食の準備をしないといけないし、太鼓の片付けもしないといけないしで、子供たちは大急ぎで走って行きました。私は担任の先生と次の練習の打ち合わせをしていたんですが、子供たちが口々に何か叫びながら走って帰ってきました。何事かと思って話を聞いてみると、教室に帰ったらもう給食が配られていたそうです!? 誰が準備してくれたかというと5年生の子供たちだったそうです。

でも、どうして!? 話を聞いてみると、去年 自分たちが4年生の時に、練習が伸びたり疲れて遅れたりした時に、当時の5年生が給食の準備をしてくれていて すごく嬉しかったので、来年は後輩の為にお手伝いをしてあげようと思っていたんだそうです。太鼓を通して、感謝の気持ち・思いやりの気持ちが毎年しっかりと受け継がれていた河原第一小学校に真の“伝統”を感じた思いがして、私もとても嬉しく、河原の子供たちを誇りに思った出来事でした。これも、各学校の先生方のご指導や、保護者の方たちのご理解の賜物と、改めて太鼓の指導をさせていただくことに感謝する思いです。

さあ、みんな あゆ祭りのステージ目指して これからもガンバルゾー!!!

(*≧∀≦*)ノシシ (おっちー)