
その九 【八上比売の謎「八上比売の生誕地はここだった!!!…………かもしれない」篇vol.2】
2012年6月8日
みなさん こんにちはー!!
「ふることふみ(古事記)の倭(やまと)ごころ」2週間ぶりのUPで~す。
先日、「この連載楽しみにしてます!」というメールを頂いて、メチャメチャ感動の嵐状態の私です♪♪ こんな私の拙い連載を(しかも、かなりの妄想族かも)楽しみに読んでいただいているなんて本当にありがとうございます。 (―人―) これからもガンバリマス!!!
8回目の今日は前回で予告した「八上比売の生誕地はここだった!!! ………かもしれない」篇をおおくりします。
まだまだ調査途中なので断言はできませんが、1つの可能性だと思って読んでくださいね。
前回の【八上比売の謎 vol.Ⅰ】で「因幡誌」「稲葉民談記」「因伯年表」「大日本地名辞書」などの記述の矛盾や「和名抄(わみょうしょう)」「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)」の参考記述の紹介をしました。 “八上郡の中に宮原があるに違いない”という仮説のもとに“宮原”探しが始まりました。
まずは河原町から!実は以前から“臭いぞ!”と思っている場所があって、時間が出来たら調べてみようと思っていたところから手をつけました。すると何ともあっさりと昔の地名台帳から“宮原”を見つけてしまいました!!( ̄∀ ̄;)………う、嘘でしょ!? こんなに早く? なんか出来すぎてない!? こんな感想を漏らす私に、以前から応援してくださっている方は「きっと導かれたんだから、疑わずに進んでみれば!?」と頼もしいエール。 俄然やる気の出た私はさっそく その地域の生き字引探しを始めました。尋ね尋ねて、たどり着いたのは偶然にも知り合いの方でした。“灯台もと暗し” これもやっぱりお導き? その方は霊石山(れいせきざん)の麓の地域・片山部落のTさんとおっしゃる方です。定年退職してから地域の歴史をコツコツと調べていらっしゃるそうで、私の“宮原”探しの話をしたら「面白そう!」と協力してくださいました。
そしてその場所とは今は千代川の水底に沈んでしまった『宮原千軒(みやはらせんげん)※』とバイパス横の『片山神社』です。(※…千軒とは古代から中世、近世に大規模集落として繁栄した経済の中心地)この神社は口伝によると鎌倉時代の建保年間(1213~1219年)国英神社より勧請とされているが、勧請理由不明ということで社号は八幡宮に。
明治元年、片山神社に改称。明治5年に国英(くにふさ)神社の摂社に。祭神は 帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと:仲哀(ちゅうあい)天皇)、息長帯比売命(おきながたしひめ:神功皇后(じんぐうこうごう))、品陀和気命(ほむだわけのみこと:応神(おうじん)天皇)の親子3柱です。しかし、「国英神社より勧請された」というところがTさんは疑わしいと思うそうです。まず位置に問題があるそうです。片山部落からは外れた場所にあり、今は片山の方たちが管理していますが、その昔、文禄2年(文禄年間1592~1596)の大洪水までは袋河原(ふくろがわら)の方たちが管理していたそうです。袋河原といえば そう、あの八上比売の“ダンナさん”大国主命(おおくにぬしのみこと)が肩にかけた袋を置いたと伝わる場所です。う~ん、だんだん匂ってきましたよー。 なぜ
片山神社を片山部落の人ではなく袋河原の人たちが管理していたんでしょうか。Tさんの蔵書で「郷土研究―大字袋河原之調査」(明治19年~大正7年に編集された)には古代からの記録の中に文禄2年の大洪水で千代川の川筋が変わるまで、『袋河原はもと片山の北方、瀧山と云ふ地の前(西なり)にありしと云へば、宮原千軒に属せしもの』とあります。袋河原は現在の千代川が流れる場所にあった宮原千軒の中にあった、ということです。宮原千軒の正面・霊石山を背にして鎮座する片山神社は宮原千軒の産土神であり守り神だったのでしょう。そこを管理していたのが袋河原部落でした。鎌倉時代以前の記録がないので 最初に祀られていたご祭神が何だったのかは断言できませんが、おそらくお瀧さん(罔象女神みづはのめ、高龗神たかおかみ、闇龗神くらおかみ、瀬織津姫せおりつひめ、などのいずれかの水の神・龍神様)ではなかったかと思うのです。 *― つづく ―*(おっちー)
-スピリチュアル・バスツアー 「河原歴史浪漫-神話の里を訪ねて-」 開催しました!!
2012年6月3日
今月3日(日)にスピリチュアル・バスツアー 「河原歴史浪漫-神話の里を訪ねて-」で古事記ゆかりの史跡巡りの旅を開催しました。去年の「神話のふるさとバスツアー・古事記と八上姫をたずねて」に続く古事記の旅・第2弾です。
それでは、その時の様子を少しだけご紹介します♪
今回 初めて霊石山(れいせきざん)の御子岩(みこいわ(御冠岩:みかんむりいわ))に登りました。道幅の狭さで大型が通れずに、今までは河原城の展望台からガイドしていて、いつかは御子岩までみなさんをお連れしたい!と思っていたんですが、やっと願いが叶いました(T_T)

この日のために町内の有志の方に手伝っていただいて草刈りをしました。これから御子岩見物にお越しになる方はラッキーですよ! もうあと2週間もすれば、また草ボウボウになっちゃいますよ~。

霊石山に伝わる天照大御神(あまてらすおおみかみ)の降臨伝説や古事記ゆかりの御子岩の話などを因幡の国中(くんなか)平野の絶景を見下ろしながら聞いていただきました。 次は、霊石山の麓に鎮座する片山神社のご案内です。ここはバイパスが出来るまでは霊石山から続く杜に護られ、ひっそりと静かなお宮さんでしたが、今は敷地の半分をバイパスが走り、参道も分断されて地下道で村と行き来するようになりました。

この神社はその昔、片山地区の国英(くにふさ)神社から勧請された八幡様で祭神は仲哀天皇(ちゅうあい)、神功皇后(じんぐうこうごう)、応神天皇(おうじん)の親子3柱です。わざわざ皆さんをここにご案内したのは古事記ゆかりの天皇ご一家をお祀りしているからだけではない、もう一つの理由があるのですが、詳しいことは―ふることふみ(古事記)の倭(やまと)ごころ・その八―でお話ししますね!

そして、素通りできないのがここ売沼(めぬま)神社。今日も八上比売(やかみひめ)さんは優しく迎えてくださいました。恒例の新人スタッフの手水舎と拝礼の見本実演。対岸の嶽古墳(だけこふん:八上比売の墓と伝わる)の話や神社の由緒、「七不思議」などのお話をし、『祓詞(はらいことば)』(神様と交流するための詞 )というものを参加者のみなさんと奏上しました。

このあと曳田川に沿って整備された八上姫公園での散策を楽しんでから東屋で「こばさまタイム(河原町の方言でおやつの事)」のはずだったんですが……ナント配達を頼んだお店が道に迷って時間に間に合わないというハプニングがありました。参加者のみなさん、本当にごめんなさい(―人―)

次のガイドポイント「牛戸三枚岩(うしのとさんまいいわ)」で こばさまが届きました。やれやれ…… 「昔、長者の娘のもとへ毎夜通ってくる男がいました。朝になる前に帰っていく男の素性を知ろうと娘は・・・」いったい何をしたのでしょうか!?古事記、日本書紀に記述がある「三輪山伝説」がこの「牛戸三枚岩」です。

「甌穴(おうけつ)が見えますよ~」とご案内したら、みなさんつり橋の上から探しながら曳田川の清らかな流れに見とれていました。ちょっと揺れてヒヤッとしましたが、これもまた楽しいハプニング♪
今回のスピリチュアル・バスツアー「河原歴史浪漫-神話の里を訪ねて-」の旅はここ牛戸三枚岩でお開きとなりました。半日のショートコースで少し物足りない気もしましたが、みなさん、お疲れさまでした。 河原町の魅力がすこしでも伝ったでしょうか!? このシリーズの次回開催は11月4日(日)です(遠いっっ!!) 次回は、一日コースで今日訪れた場所以外の古事記ゆかりの地を訪ねますので、お楽しみに♪
それでは、またお会いできる日まで・・・・・(*^▽^*)ノシシ (おっちー)
みなさん、こんにちは~。 今日は前回の予告通り「八上比売の生誕地はここだ-!!! ………ったかもしれない」篇にいきたいところですが、6月3日のバスツアーでもご案内する内容ですので それまではチョット休憩ということで、今回は古事記の最初からお話したいと思います。
「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天原(たかまのはら・たかまがはら)に成りし神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)……」から始まる古事記・上巻(かみつまき)の本文、このフレーズを聞いただけでワクワク・ドキドキするのは私だけでしょうか!?
宇宙が出来てまだ間もない時、時間も音も光も星もない天も地もなく混ざり合っていた空間が、天と地に初めて分かれ始めた時、高天原(たかまのはら・たかまがはら:天上界)に神が現れます。たったこれだけの1行の文章の中に語りつくせないほどの摩訶不思議が隠されています。
「天地初めて発けし時」なんてスゴクないですか!? 21世紀の科学力をもってしても解明できない宇宙の初め“ビッグ・バン”を想像させる書き出しは、古代日本人がどうして知り得た知識なのか!? そして「高天原」という発想。単に天上界と言うだけではなく縦(高さ)+横(広がり)+時間の3次元の世界を認識していると考えるのは深読みでしょうか!? そして、次がとっても日本人らしくて大好きな表現(考え方)なんですが、「成りし神の名は」これですよ、コレ!!西洋のように神が万物の創造主であり唯一絶対無二の存在というのではなく、森羅万象の中からというか一部として自然と生まれた、これが「成る」ということであり日本の神々の「化成する神」もしくは「物実(ものざね)」の考え方です。だから日本には八百万(やおよろず)の神が存在するのです。古代人は生まれてきたこと、生きること、死んでいくこと、死んでからのことまで全ての事に感謝し、そこには何かしらの力(目に見えるもの、見えないもの全部)が働き、神の存在を感じながら生活していたんだろうなぁ~と想像できるのです。 私個人としては無宗教なんですが、八百万の神の存在はな~んか感じてしまうんですよね~(*U_U*)
やっぱり倭心のDNAが私の中にも受け継がれてるんでしょうね。
話が長くなりましたが、出だしのトコだけでも熱く語ってしまう私でした。これじゃあ なかなか進まないんですが、みなさん あきれないで最後までお付き合いくださいねー!!
こんな風に天之御中主神のあとに、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)が成りました。「この三柱(みはしら:神様は一柱二柱と呼びます)はみな独神(ひとりがみ)として成りまして、身を隠したまひき。」とあります。 この三柱の神様たちはどんな神様たちだったんでしょう? 天之御中主神は天上界の中で中心的な最高神。高御産巣日神は天上界(皇室系)の創造神。神産巣日神は地上界(出雲系)の創造神。 独神というのは性別もなく単独神で系譜を持たない身には見えない神のことで、いつの間にか居なくなった(身に見えないだけで私たちの傍にちゃんと居るんですけどね)という意味です。
このあと どんどん神様たちがお生まれになりますが、続きはまた次回でお話しますね。それでは今日はこのへんで~(*^▽^*)ノシシ (おっちー)
-古事記編纂1300年記念企画-陶芸展「古代神々の立像」
2012年5月26日
人形作家の影井典子さんの作品展「古代神々の立像」を開催します。陶芸ファンの方はもちろん、古事記初心者の方も影井さんが作り出す独創的な古事記の世界を、ぜひお楽しみください。
※ご好評につき、展示期間を11月4日(日)まで延長致しました。

≪影井 典子さんプロフィール≫
1956年 京都に生まれる
2006年 人形造りを始める
2008年 いなば姫窯の佐藤先生に学ぶ

<受賞歴>
2008年 山陰新協展初入選
第51回 新協展(東京)初入選
2009年 第51回 山陰新協展鳥取市長賞受賞
第53回 鳥取県展奨励賞受賞
第52回 新協展(東京)入選
2010年 第53回 新協展(東京)入選
2011年 第54回 新協展(東京)入選
今年は古事記1300年記念として、河原城ではたくさんの展示・イベントを企画しております。
鳥取では”まんが博”も開催され、たくさんの観光客の皆様や地元の皆様に楽しんでいただきたいです。
そこで、今回河原城では古事記とマンガのコラボ企画『古事記のマンガ・イラストコンテスト』を開催します!!
《テーマ》古事記の中の好きな場面や地域の神話・伝説などをマンガやイラストにしてご応募ください。
応募方法は、河原城のHPから応募用紙をダウンロードして下さい。
応募用紙のダウンロード開始は、8月15日(水)からです。
※作品1点ごとに応募票を添付し、どの場面か、またはどんなストーリーかの説明を必ず明記してください。
《応募期間》平成24年8月15日~10月15日必着です。
入選作品は平成24年11月上旬~12月末までお城山展望台 河原城2階イベントホールにて特別展示いたします。
ご不明な点は「河原城 風土資産研究会」までお問い合わせください。