河原城風土資産研究会
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古事記の倭ごころ

その参【稲羽(いなば)の素兎(すうさぎ)―大国主命と八上比売(やかみひめ)―】

2012年4月1日

さあ今日から4月です。長かった今年の冬も終わり、春の訪れを感じる季節なんですが、桜の花はまだまだのようです。お城山展望台河原城が聳える、ここ鳥取市河原町は神話「八上姫(やかみひめ)」の里として知られています。全国的にはあまりメジャーではないこの「八上姫」さんは、古事記の「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」で有名な大国主命(おおくにぬしのみこと)と結婚するヒロインとして登場するお姫様です。そして「八上姫」さんを御祭神としてお祀りする「売沼神社(めぬまじんじゃ)」の御神紋が「桜」なんですよ。

―ふることふみ(古事記)の倭ごころ― 最初のお話はやっぱり「稲羽(いなば)の素兎(すうさぎ)―大国主命と八上比売(やかみひめ)―」で始めたいと思います。

みなさんがよくご存知の「因幡の白兎」は大穴牟遅命(おおなむちのみこと)[大国主命の別名]が出雲の八十神(やそがみ)たちのお供で八上比売(やかみひめ)に求婚に行く途中の出来事です。古事記では「稲羽(いなば)の素兎(すうさぎ)」と表記されています。「素兎(すうさぎ)」を「しろうさぎ」と読んだかどうかは研究者の間でも説の分かれるところですが、当時の日本の兎は野うさぎなどのように主に茶毛の在来種で、白い兎は明治以降に輸入された外来種のうさぎです。「素(す)」というのは「白(しろ)」ではなく、童謡にもあるように ♪皮をはがれて赤裸(あかはだか)~♪ と、素っ裸の「素(す)」だったかもしれませんね。

洪水で淤岐の島に流された兎は故郷の稲羽に戻りたくて、和邇(ワニ=サメ)を騙して数を数えながら背中をピョンピョン渡り、あと少しというところで嘘がばれてしまいます。怒ったワニに皮を剥がされて苦しんでいると、そこに通りかかった意地悪な八十神(やそがみ)たちは嘘の治療法を教えます。ますます傷がひどくなり痛くて痛くて泣いていると、遅れて来た大穴牟遅命に助けられ元どおりの身体になりました。たいそう喜んだ兎は、大穴牟遅命と八上比売の結婚を予言してどこかえ消えてしまいました。このことから白兎(はくと)神社や八上比売を祀る売沼神社は、縁結び神社として現在、若い世代を中心に注目を集めています。

白兎神社 売沼神社

八上比売と結ばれた大穴牟遅命は、しばらくの間、稲羽の八上郡(やかみごおり)で幸福な日々を過ごします。河原町内とその周辺には二人が仲睦まじく過ごしたゆかりの地が伝わります。

・円通寺(えんつうじ)(縁通路(えんつうじ))…二人の心が通じ合い、縁が通じたことが由来。 ・長尾鼻(ながおばな)、待合谷(まちあいだに)、飯盛山(いいもりやま)…二人のデートスポット。 ・倭文(しとり)神社…大穴牟遅命が恋文を書いた場所。

しかし、八十神たちは二人の仲を妬み、大穴牟遅命を恨んで迫害を強めます。二人が逃げ込んだと伝わる高尾山、河原町本鹿(ほんが)のその場所には、後に多加牟久(たかむく)神社が建立され、二人が祀られています。そして逃げる途中、駆け上がった坂道には「懸上(かけあが)り」の地名が残ります。(河原町中井)

八上比売より一足先に出雲へ向かった大穴牟遅命は、なおも八十神たちに狙われ殺されてしまいます。母神(刺国若比売(さしくにわかひめ))は天上界に助けを求め、蚶貝比姫(きさがいひめ)と蛤貝比売(うむがいひめ)により生き返りますが、またも殺害されます。今度も母神の助けで復活しますが、このままでは本当に殺されてしまうと、母神は根の堅州国(ねかたすくに)[黄泉(よみ)の国]へ逃がします。

大穴牟遅命が逃げ込んだ根の堅州国は、あの建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が支配していました。その娘、須勢理毘売(すせりびめ)と出会った大穴牟遅命はまたも恋仲になってしまったのです。(八上比売がいるのになんて浮気者なんでしょう!)二人を認めない父は、大穴牟遅命に試練を与えます。須勢理毘売の助けで、全ての試練をクリアした大穴牟遅命は、建速須佐之男命の信頼を得ます。そしてある日、油断して眠り込んだ建速須佐之男命の隙を突いて、須勢理毘売と共に宝器の生太刀(いくたち)・生弓矢(いくゆみや)・天の詔琴(あまぬりごと)をたずさえて、根の堅州国を脱出するのです。駆け落ちってやつですね。(ていうか、八上比売がいるのに!!) そして大穴牟遅命から大国主命となり、生太刀・生弓矢を持って八十神たちを退治し出雲の国造りが始まるのです。

大国主命がそんな酷い目にあっていることなど何も知らない八上比売は(やっと出てきた♪)、二人の間に授かった御子(みこ)と三人で早く暮らせる日がくることを願い、大国主命の便りを待っていました。八十神たちを退治し、国造りを始めた大国主命は、八上比売たちを出雲へ呼びよせますが、嫉妬深い須勢理毘売を怖れて、八上比売は生まれた御子(木俣神(きまたのかみ)=御井神(みいのかみ))を木の股に挟んで因幡に帰ってしまいます。古事記にはこう記述されていますが、実は、出雲市の斐川町(ひかわちょう)や米子市、鳥取市河原町など、それぞれの地元には古事記とは違う神話が伝わります。

八上比売とその御子は、出雲の地で大国主命の国造りを手伝い、その地で幸せに暮らした、または、しばらくして因幡に帰り、因幡の地でも八上比売は霊力をもって、一族で国造りをし八上郡(やかみごおり)を統治した、などなどです。

もともと古事記は、大和朝廷(やまとちょうてい)の正当性と皇室の歴史を後世に伝えるために作られたものなので、都合の悪い部分や、書かなくてもいい部分、書く必要のない部分についてはカットされています。八上比売と大国主命のくだりの詳細がカットされているのは、都合が悪かったのか、必要のない部分だったのかは解明されていませんが、それぞれの地域に残る多くの神話伝説や、古事記の中に見られる、自分から八十神たちの求婚を断り大穴牟遅命を選んだり、はるばる出雲の地まで旅したりと、当時では珍しい自分の意思を持ちはっきりと主張できる自立した女性としての八上比売像が浮かんできます。須勢理毘売を怖れて泣く泣く因幡に帰った悲恋(ひれん)のか弱いお姫様とは考えにくく、あえてそのような表現で記述されていると感じます。

まあ これも地元のひいき目かもしれませんが…
それはさておき、美しく賢くしかも強い女性として伝説が残る八上比売さんのDNAを受け継ぐ(?)河原町民は、これからも河原町の自慢のお姫様として子供たちに語り継ぎ、故郷を愛する心も一緒に受け継いでほしいなぁ~と思う “おっちー”なのでした。 (おっちー)