河原城風土資産研究会
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古事記の倭ごころ

その拾八「八上比売の謎・その2『御子神は二人いた!!?………かもしれない』篇 vol.2」

2013年1月5日

みなさん、明けまして おめでとうございます!!                                   今年もよろしく お願いいたします。

今年のお正月は6年ぶりに雪もなく、初日の出が拝めたし、幸先のいいスタートでした。元旦は正午で閉館したので、そのあとスタッフのみんなで恒例の初詣に氏神さんの久多美(くたみ)神社(御祭神:伊邪那岐命[いざなぎのみこと])と賣沼(めぬま)神社(御祭神:八上比売命[やかみひめのみこと])に行ってきました。雪景色の神社もいいですけど、陽射しが暖かい穏やかな神社もまた癒されますね~(*U_U*)

みなさんは いかがお過ごしでしたか?

さて「八上比売(やかみひめ)の謎・その2『御子神は二人いた!!? ………かもしれない』篇」のつづきです。

裏付けのような伝承がないものか探していただけに「出雲の源郷 斐川の地名散歩」と出逢い、斐川町の知人にも話を聞き、実巽(じっそん)神社にも足を運び地元の方とも話をした時には、ますますこの伝承の重要性を感じて一人で興奮していました!!そして以前からの疑問や違和感が「スゥーッ」と消えていったと同時に、もう一つの考えも自分なりに納得のいく説明が出来そうな気がしてきてました。

 

 

 

 

(御井神社)                     (安産祈願の絵馬)

木俣神(このまたのかみ)は別名・御井神(みいのかみ)とも呼ばれ、斐川町の御井神社の祭神として祀られ安産の信仰を集めています。二つの名前を持ち、同一神とされているこの神は、本当に同一神なのか!?という 疑問は、一部の人たちでは囁かれていましたし、違う神様だと言っている人たちもいましたが、いずれもただの推測や「直感的にそう思う」だけで、何か根拠となるものがあるわけではなかったんです。ですから、この疑問は自分で調べて解決するしかないなと思っていました。そんな時に、3、4年くらい前でしょうか、県立博物館の主任学芸員の石田敏紀さんが、八上の采女(うねめ)についての研究をなさっている時に面白い仮説を立てていらっしゃっるのを聞いて、そのことがとても印象的に記憶に残っていました。ちなみに、采女というのは5世紀頃から天皇への服属の証として有力地方豪族の娘が貢進されたと考えられていて、主に天皇の身の回りの世話をしていた宮廷女官です。7世紀中頃以降、律令制度による政治体制が整備される中で采女制度も整えられ、因幡では八上の采女のほか、高草の采女・伊福吉部(いほきべ)の采女などが中央で活躍しました。(鳥取県史ブックレット8『古代因幡の豪族と采女』(2011年)石田 敏紀 著より)

石田氏は「この八上の采女は、いろいろな記録の文書や当時の政治的時代背景を考えると、同時代にどうしても二人いたとしか考えられない。」 と、おっしゃていました。……『出雲の源郷 斐川の地名散歩』を読んだ時、そのことを急に思い出して、木俣神も二人以上いたと考えると、全ての疑問がスッキリと腑に落ちたんです。

さらには、出雲国風土記(いずものくにふどき)では大穴牟遅命(おおなむちのみこと)の御子神として阿陀加夜奴志多岐喜比売命(あだかやぬしたきぎひめ)という女神が登場してきます。まあ、大国主命は奥さんも沢山いたし、御子神においては古事記では180人、日本書紀では181人もいたという説もあるので他に御子神がいても驚きませんが、 注目したいのは、米子市橋本の阿陀萱(あだかや)神社の由緒書きです。 『多岐喜比賣命は大巳貴命(おおなむちのみこと)と八上比売命の御子なり。出雲の国 直江の里にて誕生あり。八上比売 因幡に帰らんとて共に歩き給うときに多岐喜比賣命 榎原郷橋本邑の里、榎の股に指挟みて長く置き給ひし時に 吾は木俣の神なりと申給ひて 宝石山に鎮座し給へり…』とあります。

これには驚きました。阿陀加夜奴志多岐喜比売命は自分が木俣神だと宣言しているんです。御井神に続く3つめの神名です。

 

(阿陀萱神社の由緒書き)

(阿陀萱神社)                       (拝殿額)

父神の大国主命は多くの名前を持つ神です。古事記では5つ、大穴牟遅命(おおなむちのみこと)・葦原色許男命(あしはらしこおのみこと)・宇都志国玉命(うつしくにたまのみこと)・八干矛命(やちほこのみこと)・大国主命(おおくにぬしのみこと)、日本書紀では7つ、大己貴神(おおなむちのかみ)・葦原醜男神(あしはらしこおのかみ)・顕国玉神(うつしくにたまのかみ)・八干戈神(やちほこのかみ)・大国玉神(おおくにたまのかみ)・大物主神(おおものぬしのかみ)・大国主神(おおくにぬしのかみ)、出雲風土記では所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)と呼ばれています。そして、童謡に歌われる♪大黒様♪は室町時代以降の神仏習合(しんぶつしゅうごう)の時に、仏教の「大黒天(だいこくてん)(マハーカーラ:シヴァ神の化身)」と音が同じ「大国」の信仰が習合されるようになりました。

これだけ多くの名前をもつ大国主命は、単独の神様ではなく沢山の神さまの集合体ではないかといわれています。また、母神の八上比売ですが、私の推察ではやはり因幡で信仰された女神たちや、時代ごとの豪族・長者の姫たちの総称だったのではないかとも思えます。

そんな親神の御子神ですから、同一神と言われながらも別々の神様だったのではないか!!という仮説を立てると本当にスッキリと腑に落ちたんです。

では、阿陀加夜奴志多岐喜比売命とはどのような女神さまだったのか!?

次回、『御子神は二人いた!!? ………かもしれない』篇」最終回に続く。

それではまた お会いしましょう~(*^▽^*)ノシシ (おっちー)