河原城風土資産研究会
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古事記の倭ごころ

その拾四【神話の神々vol.3 伊邪那岐命と伊邪那美命 その1】

2012年8月5日

みなさん こんにちはー。 連日の猛暑日ですが お元気ですか?   鳥取地方は今日も午前中から35度を越えて 夏本番ってカンジです!

さあ神話の神々vol.3です。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は「国生み」を終え今度はこの国に住む「神生み」にとりかかりました。まず住居に関する神々、海・川に関する神々、森や山・谷・野の神々、穀物の神、そして、28番目に火の神 火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)という火の神様を産んだ時、伊邪那美命は大火傷をしてそれがもとで死んでしまいます。

その死の直前まで伊邪那美命は「神生み」を続けます。病の床で嘔吐したその中から、鉱山の神 金山毘古神(やまびこのかみ)金山毘売神(やまびめのかみ)を、大便の中からは粘土の神 波邇夜須毘古神 (はにやすびこのかみ)波邇夜須毘売神 (はにやすびめのかみ)、尿からは灌漑の神 弥都波能売神(みづはのめのかみ、生産の神 和久産巣日神(わくむすひのかみ)生まれました。

そしてとうとう伊邪那美命は黄泉の国(死者の国)へ旅立ちました。伊邪那美命の亡骸は出雲の国と伯耆の国の境にある比婆の山(現在の島根県と広島県の境の比婆連峰の比婆山)に葬られました。

伊邪那岐命は伊邪那美命が死んだ怒りと悲しみのショックから火之迦具土神の首をはねて殺してしまいます。その時に、飛び散った血の中からもたくさんの神様が生まれています。石拆神(いわさくのかみ)、根拆神(ねさくのかみ)剣の神、石筒之男神(いわつつのをのかみ)は岩石の神、甕速日神(みかはやひのかみ)、樋速日神(ひはやひのかみ)は雷火の神格化、 建御雷之男神たけみかづちのをのかみ:別名は建布都神[たけふつのかみ]、豊布都神[とよふつの かみ])は雷神・剣の神、闇淤加 美神(くらおかみのかみ) 闇御津羽神(くらみつはのかみ)は谷間の龍神・水神、などが主な神々です。

伊邪那岐命は伊邪那美命が亡くなってから毎日々々泣き暮らしていましたが、ついに伊邪那美命を迎えに黄泉の国へ行くことにしました。伊邪那美命はとても喜び、黄泉の国の神に現世へ帰る許しをもらいに行っている間は絶対に扉の中を見ないでほしいと約束します。でもね、「絶対に見ないで!」と約束すると絶対に見てしまうのが、昔話の鉄則というか、世の常というか……結局、伊邪那岐命は扉の中に入って行ってしまいます。伊邪那岐命がそこで見たものとは…… なんと恐ろしいことでしょう、伊邪那美命の体は腐ってウジ虫がわき、骨が露出し、おまけに醜くて恐ろしい雷神たちが8柱も伊邪那美命の身体から生まれていました。愛しい伊邪那美命の変わり果てた姿に伊邪那岐命は恐ろしさのあまり逃げ出してしまいました。それを見た伊邪那美命は「見るなと言ったのに、よくも私に恥をかかせたな!」と黄泉醜女(よもつしこめ)や雷人たちを追手に、最後には自らが伊邪那岐命を追いかけました。伊邪那岐命は髪の鬘(かずら)や爪櫛(つまくし)、桃の実などを投げて撃退します。

伊邪那岐命は命からがら黄泉比良坂(よもつひらさか:死者の国と生きている者の国との境目)というところまで来て、千引の岩(ちびきのいわ)という大岩でその道を塞ぎました。そして、この大岩をはさんで大声で怒鳴り合いました。「愛しいわが夫(せ)の君が、こんなことをするなら、あなたの国の人々を1日1,000人殺しましょう。」「愛しい妻よ、あなたがそうするなら、私は1日1,500人産みましょう。」こんな訳で日本の人口は1日に1,500人生まれて1,000人死ぬことが決まったんですが、少子化が叫ばれる現在の日本ではこのルールは守られているんでしょうか!?そして、これが日本で初めての夫婦げんかだったのです。けんかの原因は恥をかかせたという、いかにも日本人らしい理由だと思いませんか?私はこの面子がどうのという考え方は武士の時代(平安末期から鎌倉時代)くらいからかなと漠然と思っていましたが、古代にはもう恥の文化が倭ごころとして ちゃんとあったんだなぁと驚きました。

また、黄泉醜女や黄泉軍(よもついくさ)が追いかけて来た時、桃の実を投げて撃退する場面は、桃の実が呪術的信仰で邪気を払うと信じられていた中国の「神仙思想(中国神話では、全ての天女の頂点に立つ女神・西王母(さいおうぼ)は、西方の崑崙山(こんろんさん)に住み「蟠桃園(ばんとうえん)」という桃園を所有していて、長寿や不老不死の効力があるという三千年に一度実をつける王母桃(おうぼとう)を栽培していた。そして三千年に一度、神々や仙人などを招待して宴を開き、その桃を振る舞ったと伝えられている。)」や「道教思想」の影響を受けてのことだろうと思います。

たしか一昨年、昨年と卑弥呼(ひみこ)の宮殿や陵墓ではないかと言われている、纒向(まきむく)遺跡や箸墓(はしはか)古墳で2,000個を超える大量の桃の種が発掘され、にわかに「邪馬台国発見か!?」と騒がれたことがありましたが、あれは祭祀に使ったり、特に高貴な人物の殯(もがり:古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置して別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いながらも遺体の腐敗や白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。また、その棺を安置する場所を指すことがある。殯の期間に遺体を安置した建物を「殯宮」(もがりのみや/万葉集では[あらきのみや])という。)の儀式に魔除けとして大量に使用するそうです。

とにかくこれで、伊邪那岐命と伊邪那美命は永遠の決別をするのです。

黄泉の国から帰ってきた伊邪那岐命は汚れた体(死または、死者の国は穢れているという古代人の観念)を川の水で洗い流しました。その時に、またたくさんの神様たちが生まれます。

次回は伊邪那岐命の禊からです。                                    それではまた お会いしましょう~(*^▽^*)ノシシ (おっちー)