河原城風土資産研究会
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古事記(ふることふみ)の倭(やまと)ごころ

その拾伍【神話の神々vol.4 禊と三貴子 その1】

2012年10月6日

みなさん、こんにちはー。暑かった夏も気がつけばとっくに終わって、朝夕めっきり涼しくなりましたね。今年の夏はいかがでしたか~? いい思い出は出来ましたか!?  私は相変わらず仕事に追われて( ̄Д ̄) 倭ごころも9月はとうとうアップ出来ませんでした(T_T)実は9月半ば頃からチョットづつ、チョットづつ時間を見つけては書いてたんですが……気づけば10月になってしまっていました!                          と、言うことで、まだ途中ですが書いたところまでアップしておきます。

さて神話の神々vol.4は禊(みそぎ)と三貴子(さんきし)の話です。

黄泉の国から帰ってきた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は筑紫(つくし:九州)の日向(ひむか:宮崎県説、島根県と鳥取県の県境説もあるが「日に向かう地」という解釈で特定な場所ではないとする説もある)の※橘の小門(おど:瀬戸)の阿波岐原(あわきはら)(※ … 空想上の場所だといわれている)の川で禊祓い(海や川の水で罪穢れ、災いを洗い清める宗教儀礼)をしました。

その時に投げ捨てた杖・帯・衣・袴・冠・腕輪など身につけたものから12柱の神が成り、また、洗い清めた川の上の瀬(水面近く)、中の瀬(中ほどの水中)、水底から、綿津見神(わたつみのかみ)が成りました。最後に左目を洗い天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、右目を洗い月読命(つくよみのみこと)が、鼻を洗い建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が生まれました。(成り出ました。) この最後に生まれた3柱の神たちは三貴士(さんきし)と呼ばれ、三貴士の出現により、いよいよ神と人と国との壮大な “はじまり物語” の幕が開くのです。

父・伊邪那岐命は、天照大御神には天上界と昼の世界を、月読命には夜の世界を、建速須佐之男命には海原を治めるようにと任命しました。しかし、須佐之男命(すさのおのみこと)だけは大人になっても いつまでも泣いてばかりいて仕事をしません。父が理由をたずねると、母親に会いに黄泉(よみ)の国へ行きたいと泣いていたのだと答えたのです。伊邪那岐神は激しく怒り、須佐之男命を天上界から追放することにしました。 なぜ追放するほど父は怒ったのか!? 思い返せば自分もタブーを犯し、愛する妻・伊邪那美命(いざなみのみこと)に会いに黄泉の国へ行ってどんな結果になったか。

前にもお話ししましたが、古事記というのは日本人の根源的な精神性や、古代人の戒め・教えなどの道徳観念が盛り込まれた、当時の風俗的価値観を知ることが出来る一種の文芸作品でもあり、一方では政治的背景を色濃く反映させた日本民族(各部族の、また権力者の)の歴史の変遷だと言いました。この事件(黄泉の国へ行きたいと云った須佐之男命を、追放するほど激怒した伊邪那岐神)は、“死” というものに対する古代人の戒め・教えなどもありますが、どちらかと言うと、これから展開する政治的歴史の造成の伏線になっていく大きな出来事のプロローグなのだと思います。そもそも、太陽神であるとともに皇祖神(こうそしん:皇室の祖神)の天照大御神と出雲の祖神であり後に黄泉の国の大王となる建速須佐之男命が姉弟として天上界に誕生するということに意図的なものを感じ、日本の国の土台そのもののになっていく神話のストーリー展開には、現代のSF小説を超えた古代人の豊かな空想力と創造力に思わず敬意を払ってしまいます。 そんな風に両面から古事記を読み解いていくと、ますます面白く、でも謎はますます深まり……と、きっとあなたも古事記に魅入られてしまうかも知れませんね。

このあと、須佐之男命はどうしたかというと、姉の天照大御神に別れを告げに天上界へ向かうのです。 荒ぶる神・建速須佐之男命が泣きわめきながら歩くと、世界中が壊れるほどの地震のような雷鳴がとどろき、まさに暴風雨を背中に背負って歩いているようなものです。悪神たちも暴れ出しそうな気配に天照大御神は弟が攻めて来たと思い武装して迎え討つことにしました。須佐之男命は誤解を解こうと誓約(うけい)を提案します。誓約というのは、古代の占いの一種で、占いの結果を先に予想し、予想が当たればその人や物・事柄・現象などが正しいとしたものです。天の安河(あめのやすかわ)を挟んで対峙した二人は、それぞれの誓約で神生みを始めました。

いったいどんな結末になるのか!? 次回は「二神の誓約産み」からです。それではまた お会いしましょう~(*^▽^*)ノシシ (おっちー)

 

 

 

 

その拾四【神話の神々vol.3 伊邪那岐命と伊邪那美命 その1】

2012年8月5日

みなさん こんにちはー。 連日の猛暑日ですが お元気ですか?   鳥取地方は今日も午前中から35度を越えて 夏本番ってカンジです!

さあ神話の神々vol.3です。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は「国生み」を終え今度はこの国に住む「神生み」にとりかかりました。まず住居に関する神々、海・川に関する神々、森や山・谷・野の神々、穀物の神、そして、28番目に火の神 火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)という火の神様を産んだ時、伊邪那美命は大火傷をしてそれがもとで死んでしまいます。

その死の直前まで伊邪那美命は「神生み」を続けます。病の床で嘔吐したその中から、鉱山の神 金山毘古神(やまびこのかみ)金山毘売神(やまびめのかみ)を、大便の中からは粘土の神 波邇夜須毘古神 (はにやすびこのかみ)波邇夜須毘売神 (はにやすびめのかみ)、尿からは灌漑の神 弥都波能売神(みづはのめのかみ、生産の神 和久産巣日神(わくむすひのかみ)生まれました。

そしてとうとう伊邪那美命は黄泉の国(死者の国)へ旅立ちました。伊邪那美命の亡骸は出雲の国と伯耆の国の境にある比婆の山(現在の島根県と広島県の境の比婆連峰の比婆山)に葬られました。

伊邪那岐命は伊邪那美命が死んだ怒りと悲しみのショックから火之迦具土神の首をはねて殺してしまいます。その時に、飛び散った血の中からもたくさんの神様が生まれています。石拆神(いわさくのかみ)、根拆神(ねさくのかみ)剣の神、石筒之男神(いわつつのをのかみ)は岩石の神、甕速日神(みかはやひのかみ)、樋速日神(ひはやひのかみ)は雷火の神格化、 建御雷之男神たけみかづちのをのかみ:別名は建布都神[たけふつのかみ]、豊布都神[とよふつの かみ])は雷神・剣の神、闇淤加 美神(くらおかみのかみ) 闇御津羽神(くらみつはのかみ)は谷間の龍神・水神、などが主な神々です。

伊邪那岐命は伊邪那美命が亡くなってから毎日々々泣き暮らしていましたが、ついに伊邪那美命を迎えに黄泉の国へ行くことにしました。伊邪那美命はとても喜び、黄泉の国の神に現世へ帰る許しをもらいに行っている間は絶対に扉の中を見ないでほしいと約束します。でもね、「絶対に見ないで!」と約束すると絶対に見てしまうのが、昔話の鉄則というか、世の常というか……結局、伊邪那岐命は扉の中に入って行ってしまいます。伊邪那岐命がそこで見たものとは…… なんと恐ろしいことでしょう、伊邪那美命の体は腐ってウジ虫がわき、骨が露出し、おまけに醜くて恐ろしい雷神たちが8柱も伊邪那美命の身体から生まれていました。愛しい伊邪那美命の変わり果てた姿に伊邪那岐命は恐ろしさのあまり逃げ出してしまいました。それを見た伊邪那美命は「見るなと言ったのに、よくも私に恥をかかせたな!」と黄泉醜女(よもつしこめ)や雷人たちを追手に、最後には自らが伊邪那岐命を追いかけました。伊邪那岐命は髪の鬘(かずら)や爪櫛(つまくし)、桃の実などを投げて撃退します。

伊邪那岐命は命からがら黄泉比良坂(よもつひらさか:死者の国と生きている者の国との境目)というところまで来て、千引の岩(ちびきのいわ)という大岩でその道を塞ぎました。そして、この大岩をはさんで大声で怒鳴り合いました。「愛しいわが夫(せ)の君が、こんなことをするなら、あなたの国の人々を1日1,000人殺しましょう。」「愛しい妻よ、あなたがそうするなら、私は1日1,500人産みましょう。」こんな訳で日本の人口は1日に1,500人生まれて1,000人死ぬことが決まったんですが、少子化が叫ばれる現在の日本ではこのルールは守られているんでしょうか!?そして、これが日本で初めての夫婦げんかだったのです。けんかの原因は恥をかかせたという、いかにも日本人らしい理由だと思いませんか?私はこの面子がどうのという考え方は武士の時代(平安末期から鎌倉時代)くらいからかなと漠然と思っていましたが、古代にはもう恥の文化が倭ごころとして ちゃんとあったんだなぁと驚きました。

また、黄泉醜女や黄泉軍(よもついくさ)が追いかけて来た時、桃の実を投げて撃退する場面は、桃の実が呪術的信仰で邪気を払うと信じられていた中国の「神仙思想(中国神話では、全ての天女の頂点に立つ女神・西王母(さいおうぼ)は、西方の崑崙山(こんろんさん)に住み「蟠桃園(ばんとうえん)」という桃園を所有していて、長寿や不老不死の効力があるという三千年に一度実をつける王母桃(おうぼとう)を栽培していた。そして三千年に一度、神々や仙人などを招待して宴を開き、その桃を振る舞ったと伝えられている。)」や「道教思想」の影響を受けてのことだろうと思います。

たしか一昨年、昨年と卑弥呼(ひみこ)の宮殿や陵墓ではないかと言われている、纒向(まきむく)遺跡や箸墓(はしはか)古墳で2,000個を超える大量の桃の種が発掘され、にわかに「邪馬台国発見か!?」と騒がれたことがありましたが、あれは祭祀に使ったり、特に高貴な人物の殯(もがり:古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置して別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いながらも遺体の腐敗や白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。また、その棺を安置する場所を指すことがある。殯の期間に遺体を安置した建物を「殯宮」(もがりのみや/万葉集では[あらきのみや])という。)の儀式に魔除けとして大量に使用するそうです。

とにかくこれで、伊邪那岐命と伊邪那美命は永遠の決別をするのです。

黄泉の国から帰ってきた伊邪那岐命は汚れた体(死または、死者の国は穢れているという古代人の観念)を川の水で洗い流しました。その時に、またたくさんの神様たちが生まれます。

次回は伊邪那岐命の禊からです。                                    それではまた お会いしましょう~(*^▽^*)ノシシ (おっちー)

 

 

 

 

その拾参【神話の神々vol.2 伊邪那岐命と伊邪那美命】

2012年7月14日

みなさん こんにちはー。神話の神々vol.2はいよいよ「国生みと神生み」が始まります。

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は天の御柱の左右から ぐるっと一廻りして出会ったところで伊邪那美命が「あなにやし、えをとこを(ああ、なんて素敵な男性でしょう)」と伊邪那岐命に声をかけます。その後、伊邪那岐命が「あなにやし、えをとめを(ああ、なんて素敵な乙女だろう)」と言い、まぐはひました。しかし、生まれた子は「水蛭子(ひるこ)」だったので葦の船に乗せて流しました。次の子も「淡島(あわしま)」で子どもとして認めなかった。伊邪那岐命と伊邪那美命は高天原(たかまのはら・たがまがはら)の天つ神に相談したところ、ふとまに(鹿の肩骨を焼く占い)をして「女から先に声をかけたので不具の子ができた。今度は男か先に声をかけて国生みをやり直しなさい。」と、おっしゃいました。

この「女から先に声をかけたので不具の子ができた。」というのは夫唱婦随・男尊女卑の中国の儒教の影響だと一般的には云われていますが、もともと兄妹である伊邪那岐命と伊邪那美命がまぐはう=近親相姦のタブーを伝えたものという説もあります。また、単に男尊女卑の影響だけではなく男女には性別による特性や役割などがあり、人としては平等だが同質ではなく、お互いの違いを認め合わなくては何事も上手くいかないということを教えているのかもしれません。やはり昔も今もコミュニケーションが社会の基盤だったということですよね。(o^0^o)

そして、ここで一つ水蛭子(ひるこ)については避けて通れないのですが、この水蛭子も様々な説があります。例えば、日本書紀では蛭児と書き三年たっても足の立たない子としています。 ~「そもそもヒルコという呼称・字義からして解釈が分かれる。記紀では表記が用いられ、これに対して文字はあくまでも仮借表記であり別の字があてられていた説もあり、むしろこちらのほうで解釈する人が多い。例えば江戸時代には滝沢馬琴によってヒルコ=日子であると説かれ、さらにヒルコは北極星だと言っている。 馬琴の考えは形を変え継承され、ヒルコは昼子、日子などと考え、これは比古(彦)の事だとして昼女(ひるめ)、日女(媛)に対応するものとする説。さらに、ヒルコを人格ととらえ太陽神ヒルメの兄妹であるがヒルメと比べると劣った存在であるとする説。などなどのヒルコ論の中でよく取り上げられるのがヒルコを日子としてヒルメと対照的にとらえる説で、この説に立つと、ヒルコ(男)は葦の船に乗せて棄てられてしまうわけで、太陽神としてふさわしいのはヒルメ(女)ということになります。これは、太陽神(皇祖神)タカミムスイノカミからアマテラスオオミカミ、つまり、男性神から女性神に転換されるという日本神話の構造からみて妥当な解釈だといえる。しかし一方では、記紀の中では太陽に関する字句として日孁(ひるめ)がきちんと用いられているのに対し、なぜヒルコにはこうした表記が使用されていないのか疑問もおきてくる。ヒルコに関しての字で表記が統一されていることを重視するなら、ヒルコの実体は蛭のような存在となり日子の文字からの解釈は妥当ではないといえよう。つまり、ヒルコの解釈は記紀の表記を生かして考えるのが穏当なように思われる。背景として、古代社会の疾病、それらに対応する医療技術の未発達などが考えられる。また、出産、とくに初産の難しさも考えるべきかもしれない。また、ヒルコを船で流すという点についても、すでに指摘されているように障害を持った人や流産した児を放棄するといった風習や習慣があった可能性も否定できないであろう。」(「古事記と日本書紀でたどる日本神話の謎」瀧音能之(たきおと よしゆき)氏著から抜粋)~

また、流されたヒルコ神が流れ着いたという伝説は日本各地に残っていて、日本沿岸の地域では、漂着物をエビス神として信仰するところが多く、ヒルコがエビス(恵比寿・戎)と習合・同一視されるようになりました。ヒルコ(蛭子神、蛭子命)を祭神とする神社は多く、西宮神社(兵庫県西宮市)などが有名です。ヒルコがエビス神である信仰は、古今集注解や芸能などを通じ、広く浸透しています。蛭子と書いて「エビス」と読むほど馴染み深いのですが、恵比寿を祭神とする神社には恵比寿=事代神(ことしろぬし:大国主命の息子)とするところも多いのです。生まれてすぐに流されてしまうヒルコへの哀れさの感情が、再生の神話を作りだしたとも考えられますね。

このように代表的な解釈でさえ何通りもあり、マニアックなものをいれると限りなく出てきます。謎めいているのはヒルコの解釈だけにとどまらず、古事記そのものの解釈もまだ統一されておらず、これからちゃんと解明されるのはあと何十年、いや何百年かかるかもしれません。学者さんたちの説も参考にしながら、でもみなさん自身の感性で受け止めればいいのではないかなぁ~と思うのです。

こうして、ふとまにのお告げ通りにして伊邪那岐命と伊邪那美命はこのあと淡路之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま=淡路島)から順調に国生みをしてゆきます。後に八番目の大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま=本州)を産んだので古代日本列島を大八島(おおやしま)と呼びます。これは「穀物が豊かに実る国」という意味です。また、秋津とはトンボの古名でトンボが交尾をしながら飛んでいる姿に日本列島が似ているからこう呼ばれたとも言われています。(ということは、この時代にはすでに日本列島の形が分かっていたということになりますが……どうやって!? と、またまた謎が増えましたが、そのお話はまたの機会に…)

では、ナゼ淡路島から!? 私も不思議に思いました。これは淡路島周辺の海人族(あまぞく)が伊邪那岐命と伊邪那美命を信仰していることが原因で、もともとは淡路島周辺の島生みの話が宮廷神話として語られたとき大規模な国生みに発展したものと思われます。

産む順番も①淡路島、②四国(伊予=愛比売[えひめ]、讃岐=飯依比古[いいよりひこ]、阿波=大宜都比売[おおげつひめ]、土佐=建依別[たけよりわけ])、  ③隠岐の島=天之忍許呂別[あめのおしころわけ]、 ④筑紫=九州(豊=豊日別[とよひわけ]、肥=建日向日豊久士比泥別[たけひむかとよくじひねわけ]、熊曾[くまそ]=建日別[たけひわけ])、⑤壱岐の島=天比登都柱[あめひとつはしら]、 ⑥対馬=天之狭手依比売[あめのさでよりひめ]、⑦佐渡の島⑧大倭豊秋津島=天御虚空倭豊秋津根別[あまつみそらとよあきづねわけ]と西日本が中心で、畿内から瀬戸内海をへて大陸に向かう航路を意識しているように思います。

大八島を産んだあと小豆島、大島、姫島、五島列島、双子島など瀬戸内海や九州の小さな島々を産んで国生みを終えた二神は、次に神生みにとりかかりました。

つづく! (*^▽^*)ノシシ(おっちー)

 

 

 

 

 

 

 

 

その拾弐【神話の神々vol.1 宇摩志阿斯訶備比古遅神】

2012年7月13日

みなさん こんにちはー。ずいぶんお休みしちゃいましたけど、みなさん お元気でしたか?                                        この前の「…… 倭(やまと)ごころ・その七」の続きです。

前回「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時……」から始まって三柱(みはしら)がお成りになった2行目のところまででした。(う~ん、このペースだと下つ巻まで話すのに何年かかるやら……(^_^;))

この最初に現れた三柱の神は造化三神(ぞうかさんしん)と呼ばれる創造の神様です。そして、このあと「国稚(くにわか)く浮ける脂(あぶら)の如くして、海月(くらげ)なす漂へる時、葦牙(あしかび)の如く萌え騰(あ)がる物によりて成りし神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)、次に天之常立神(あめのとこたちのかみ)。この二柱の神もみな独神(ひとりがみ)と成りまして、身を隠したまいき。上の件(くだり)の五柱(いつはしら)は別天つ神(ことあまつかみ)。」と続きます。 出来たばかりの天と地はまだはっきりとした形にはなっておらず、国土はまだ固まらず、水に浮いている脂のようにドロドロしてクラゲのように漂っていました。そんな泥の台地から生まれたのが、私が大好きな古事記の神様ベスト5の中の一柱“宇摩志阿斯訶備比古遅神“。

泥の中から若い葦の芽が萌え出て、その勢いある先端の部分からお生まれになった神様で、まさに全ての生命の源のような希望の塊のような神々(こうごう)しい神様です。葦の新芽に象徴される生命力や成長力の神格化で、日に20センチ近く伸びる葦は古代人にとって憧れをも抱くほどの強い生命力の象徴で、「葦原中国(あしはらのなかつくに)」「豊葦原水穂国(とよあしはらの みずほのくに)」などのように「葦の茂る国」=「稲穂が成長する豊かな国」という意味で「葦原」は古代日本そのものだったのです。この神様の名を口にすると、なんだが心が癒されて元気が出てきて清々しい気持ちになります。古代人がどんな魔法をかけたのか分かりませんが、倭ごころを感じるのは やはり宇摩志阿斯訶備比古遅神が細胞レベルで日本人の中に受け継がれているせいなんでしょうね~。それに私たちは「お米の国の人」ですしね(o^0^o)

そのあと、天之常立神がお生まれになります。やはり宇摩志阿斯訶備比古遅神とセットで考えると、「葦のように強い生命力の日本の国と民衆が、常に天に向かって(上へ上へと=世界の大国と肩を並べるくらい上へ)伸びてほしい!!」という願いがこもった希望の神様たちなんでしょうね。 先にお生まれになった造化三神とこの二柱の神を別天つ神といって、目には見えませんが特別に尊い神様として私たちの周りに、心の中に、いつも一緒にいて見守ってくださる神様です。

このあと、神世七代(かみよななよ)という高天原(たかまのはら・たがまがはら)を形成する二柱の独神と五柱のカップルの神様たちがお生まれになり、その最後に伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)がお生まれになり、いよいよ国生みが始まるのです。宇宙が始まって、この伊邪那岐命・伊邪那美命のカップルが出現するまでにナント約150億年が経過した計算になるそうです。( ̄∀ ̄;)

天つ神一同から依頼を受けた伊邪那岐命・伊邪那美命は神聖な天の沼矛(あめのぬぼこ)を授かって天上界から地上に降りる天の浮橋(うきはし)の途中から地上の世界はどうなっているか突き刺してみました。そして、かき回して引き上げてみると沼矛の先から潮が滴り落ち、それが積もり固まって淤能碁呂島(おのごろしま)という島ができました。二柱はその島に宮殿を建て神聖な御柱を建てました。

そして有名なシーン「ここにその妹(いも=妻)伊邪那美命に問いて『汝(な)が身は如何(いか)にか成れる』と日(の)りたまへば、『吾(あ)が身は成り成りて、成りあわざる処一処(ところ ひとところ)あり』と答へたまひき。ここに伊邪那岐命 詔(の)りたまはく、『我(あ)が身は成り成りて、成り余れる処一処あり。かれ、この吾が身の余れる処をもちて、汝が身の成りあわざる処にさし塞ぎて、国土を生み成さむとおもふ。生むこといかに』とのりたまえば、伊邪那美命、『然善(しかよ)けむ』と答へたまひき。」 現代語訳をすると「伊邪那岐命が妻の伊邪那美命に尋ねて『おまえの身体はどのように出来ているか?』と仰せになると『私の身体はだんだん成り整いましたが、成りあわず へこんだ処があります。』とお答になった。そこで伊邪那岐命が『私の身体はだんだん成り整ったが、成り余って出っ張った処がある。私の出っ張った処を おまえの へこんだ処に差し入れて国を生もうと思うがどうだろう?』と仰せになると伊邪那美命は『それは良い考えですね』とお答になった。」

「ここに伊邪那岐命 詔りたまはく、『然らば吾と汝とこの天の御柱行き廻り逢ひて、みとのまぐはひせむ』とのりたまひき。」こうして 伊邪那岐命・伊邪那美命は夫婦の契りを交わし国生みを始めます。 続きは次回で! (*^▽^*)ノシシ(おっちー)

 

 

 

 

 

 

 

 

その拾壱【八上比売の謎「八上比売の生誕地はここだった!!!…………かもしれない」篇vol.4】

2012年6月23日

みなさん こんにちはー。この前の台風大丈夫でしたか?

前回は、私都川(きさいちがわ)の岸辺に片山神社を霊石山(れいせきざん)の中腹から遷座したのではないか!?というところまででした。   そうなんです、霊石山からなんです!  ……たぶん(^_^;)

古来、日本人はお山信仰をしていました。山に神様が宿り、山そのものが御神体としてお祀りし祠やお宮を建て、時代を経てだんだん里に降ろして(遷座:せんざ)いったのです。

ところで、山の数え方をご存知ですか? 山は一座、二座…”と数えます。なぜかというと、古代日本人は山を神様がお座りになる椅子のようなものと見ていたからだそうです。だから、と数えるんですね。神様たちは高天原(たかまのはら・たかまがはら)から地上へ降り立つときに山の頂上を仮宮として滞在なさって、また神上がりなさいます。ですから、もう山そのものが尊い御神体として古代日本人はお祀りしていたんです。それが時代とともにだんだん人里に遷宮されるようになり、本宮は奥の院または奥都城(おくつき)として村を見下ろす山に残されたのです。奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)はいまでも三輪山(みわやま)を御神体としてお祀し、日本でもベスト3に入るパワースポットとして参拝者が絶えません。昔のままの信仰を形として残す山です。そして、御神体が大物主神(おおものぬしのかみ)=大国主命(おおくにぬしのみこと)の荒御霊なのもとても御縁を感じますよね。

霊石山には天照大御神(あまてらすおおみかみ)の降臨伝説(全国的にも珍しい)があり、その中腹に位置する御子岩(みこいわ:御冠岩[みかんむりいわ])には天照大御神のほかに神功皇后(じんぐうこうごう:長帯比売命[おきながたしひめ])、応神天皇(おうじんてんのう:品陀和気命[ほむだわけのみこと])の伝説もあります。神功皇后・応神天皇といえば、今の片山神社の御祭神です。この古事記ゆかりの霊石山が御神体そのもので御子岩といわれる縦・横・奥行き約5メートルづつある大岩が磐座(いわくら:まだ社殿がなかった時代に神が降臨する場所として原始的な祭祀を行った場所、または御神体)として祀られ元片山神社があったものと推察します。そして里に降り、天皇家に御縁のある私都川の岸辺に遷座した。もちろん御祭神は龍神系(瀬織津姫[せおりつひめ]、罔象女神[みずはのめ:お瀧さん]、高龗神[たかおかみ]、闇龗神[くらおかみ]、市杵島姫命[いちきしまひめのみこと:弁天さん])、そして八上比売(やかみひめ)であったと思います。八上比売もまた瀬織津姫とよくすり替えられているようです。 私とTさんが片山神社の口伝の信ぴょう性をイマイチ疑っているのは、こういう訳なんです。

片山神社を取り巻く環境や資料・伝説の数々を並べると、どう考えても霊石山から遷座され何かの理由で故意にすり替えられたのか、または故意ではなく伝達の途中ですり替わってしまったのかで八上比売さんの名前が消えてしまったのではないかと思うのです。

大穴牟遅命(おおなむちのみこと:大国主命[おおくにぬしのみこと]の幼名)がはるばる出雲からやってきて(たぶん海路?)最初の妻・八上比売を娶る話には翡翠(ひすい)を求めてやってきたとか、侵略しに来た(これは違うと思いますが)とか、同盟を結びに来たなど様々に推測されていますが、何がどうあれ大穴牟遅命がやって来たことによって出雲と稲羽の文化・技術の交流がなされたのは間違いないことで、古事記から読み取ると大国主命の国造りは稲作文化・技術の伝授が大きなものです。

6世前の先祖・建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が八俣の大蛇(やまたのおろち)を退治して(暴れ川の斐伊川一帯を稲作地帯にした説)国造りをしたように、大穴牟遅命もまた稲羽の王の娘を娶る資格を得て稲羽に稲作文化をもたらし八上比売とともに国造りをしたのです。その最初の場所だったかもしれない宮原は国中平野(くんなかへいや)の中心・霊石山の眼下に広がるこの宮原千軒だったと思うのです。そしてその護り神として八上比売さんをお祀りしたのだと思います。

因幡の国が、悠紀(ゆき)の国・主基(すき)の国(大嘗祭[だいじょうさい]のとき神饌[しんせん]の新穀を奉るよう卜定[ぼくじょう]によって選ばれる国。平安時代以後は近江国に一定に、または丹波・備中を交替にあてるようになる)と何度も選ばれ朝廷から信頼されるほどの米どころにまでなったのは、大穴牟遅命と八上比売さんの御加護だったのでしょうね~。   (*^▽^*)ノシシ(おっちー)