河原城風土資産研究会
〒680-1242
鳥取県鳥取市
河原町谷一木1011
TEL: 0858-85-0046
FAX: 0858-85-1946


今日: 433
昨日: 450
このページ: 364

合計: 182,521

古事記(ふることふみ)の倭(やまと)ごころ

その伍【邇邇芸命(ににぎのみこと)と木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)】

2012年4月18日

前回のつづきからです。
― 天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにきし くににきし あまつひこひこほの ににぎのみこと:以下「邇邇芸命(ににぎのみこと)」) と木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ) ―

邇邇芸命(ににぎのみこと)一行は筑紫(つくし:現在の九州)の日向(ひむか)の高千穂(たかちほ)の霊峰に天降り国見をしました。「朝日の直(ただ)さす国、夕日の日照(ひで)る国」(この地は朝鮮半島に対峙し笠沙(かささ)の御崎にもまっすぐ通じ、朝日も夕日も明るく照り映えるまことによい土地だ)と仰せられ、この地に壮大な宮殿を建てました。

ある日、邇邇芸命が笠沙の岬にお出ましになったとき、花のように美しい乙女と出逢います。邇邇芸命は一目惚れをしその場でプロポーズしました♡♡♡ この乙女こそ後に妻となる木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)です。

木花之佐久夜毘売は父親の大山津見神(おおやまつみのかみ:山の神)に許しを得ないと返事できないと答え、邇邇芸命は遣いを出します。大山津見神は結婚の申し込みを たいそう喜んで、姉妹で嫁がせようと姉の石長比売(いわながひめ)までも差し出しました。しかし、邇邇芸命は美しい木花之佐久夜毘売だけ妻にし、石長比売(いわながひめ)はお返しになりました。(残念なことに石長比売はかなりの“おブスちゃん”だったようです。ゴメンナサイ!) そこで、大山津見神は「石長比売は岩のように永遠に変わらない命と、木花之佐久夜毘売は花が咲き栄えるような繁栄を願ってのものだったが、石長比売を返した今、天つ神の御子の命は桜が散るように、はかないものになりました」と申したのです!(T―T)

天つ神の邇邇芸命が容姿で妻を決めるあたりが、とても人間くさくて、また、このエピソードから人の寿命が決まったのかと思うと、天降った天孫・邇邇芸命はもうすでに人としての歴史を歩んでいたのかもしれないなと思うのです。

そして、この話を知ったとき、この歌を思い出しました。

「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」大好きな歌の一つです。歌の内容は寿命の話とは全然違うんですが、なぜか思い出しました。

邇邇芸命と木花之佐久夜毘売のエピソードは、儚い命だからこそ、人は自分の人生を精一杯、咲き誇る桜のように強く美しく生きなければいけないと教えているのかもしれませんね(*U_U*)   (おっちー)

その四【天孫降臨(てんそんこうりん)】

2012年4月17日

先週の月・火曜日と暖かい日が続き、お城のしだれ桜も町内のソメイヨシノも一夜にして満開に咲きそろいました❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀

もう少しゆっくり咲いてくれればいいのに。。。。もう散り始めています。お城のしだれ桜はまだ今週いっぱいくらいは大丈夫そうですよ~。

今回は、前回の八上比売さんに続いてつながりで「木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)」のお話をします。八上比売さんと同じくらい私が大好きな女神さまです。

木花之佐久夜毘売は天孫降臨(てんそんこうりん)の主人公・天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにきし くににきし あまつひこひこほの ににぎのみこと:以下「邇邇芸命(ににぎのみこと)」)と舌を噛みそうな長~~いお名前の天孫=いわゆる天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫御子様の奥さんです。

お二人の出逢いの話をする前に、天孫降臨(てんそんこうりん)の話を簡単にしておきますね。前回の「大国主命(おおくにぬしのみこと)と八上比売(やかみひめ)」の国造りの後に続くお話しなんですよ。

大国主命が国造りを終え、豊かな国となった豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに=葦原中国ともいう)を天上界から見ていた天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、元は天降(あまくだ)った天つ神が造った国だから天上界に返してもらい、天つ神が統治するのがよいと使者を出した。
しかし、最初の使者も二番目も復命(ふくめい)せず、とうとう最後は武力をもって、第三の使者、建御雷之男神(たけみかづちのおかみ)がやってきた。伊耶佐(いざさ)の浜(今の稲佐の浜)に降り立った建御雷之男神は十束剣(とつかのつるぎ)を浪に刺し、その上に坐(ざ)して大国主命に葦原中国(あしはらなかつくに)を天上界に返すように迫りました。
大国主命は返答を息子の事代主命(ことしろぬしのみこと)に委ね、事代主命は了承したが、もう一人の息子・建御名方命(たけみなかたのみこと)は反対しました。建御雷之男神と力競べの勝負をして負けた建御名方命(たけみなかたのみこと)は国譲りを了承し、二人の息子の返答を聞いた大国主命は神殿(出雲大社[いずもおおやしろ])を造ってくれることを条件に国譲りを承諾しました。

天照大御神は最初は息子の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひ あめのおしほみみのみこと)を遣わそうとしましたが、天忍穂耳命は生まれたばかりの息子が統治者としてふさわしいと天照大御神に提案した。こんな訳で孫の、つまり天孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)が天降ることになりました。

邇邇芸命には天児屋命(あめのこやねのみこと:天照大御神が天の岩屋戸に隠れた時、祝詞[のりと]を唱え鏡を差し出した神。中臣氏[なかとみうじ:古代に神事・祭祀をつかさどった神]の祖神)、布刃玉命(ふとだまのみこと:高皇産霊神(たかみむすひのかみ)の子。天照大御神が天の岩屋戸に隠れた時、天児屋命(おめのこやねのみこと)とその出現を祈請した。忌部[いんべし:祭祀をつかさどった一族]の祖先神)、天宇受賣命(あめのうずめのみこと:天照大御神が天の岩屋戸に隠れた時、八百万(やほよろず)の神々の前で踊り天照大御神を誘い出した女神。天孫降臨の際、天の八衢(やちまた)にいた猿田彦神(さるたひこのかみ)に道案内をさせた。猿女[さるめ:古代の祭りで巫女の役をした]の祖神)、伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと:天照大御神が天の岩屋戸に隠れた時、鏡を作った神。鏡作部[朝廷や豪族に属し鏡を製作した人々]の祖神)、玉祖命(たまのおやのみこと:玉造連[たまつくりのむらじ]勾玉[まがたま]や管玉[くだたま]をつくる人々の祖神。天照大御神が天の岩屋戸に隠れた時、三種の神器[さんしゅじんぎ]※1 の1つ、八尺瓊勾玉[やさかにのまがたま]を作った神様と言われています)の五伴緒(いつともお)を従えて天降りをします。

※1…三種(さんしゅ)の神器(じんぎ) …天孫降臨(てんそんこうりん)の際に、天照大御神(あまてらすおおみかみ)から授けられたという草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺(やさかに)の勾玉(まがたま)をさす。

この後、地上に降り立った邇邇芸命は木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)と出逢います。 ― つづく ― (おっちー)

その参【稲羽(いなば)の素兎(すうさぎ)―大国主命と八上比売(やかみひめ)―】

2012年4月1日

さあ今日から4月です。長かった今年の冬も終わり、春の訪れを感じる季節なんですが、桜の花はまだまだのようです。お城山展望台河原城が聳える、ここ鳥取市河原町は神話「八上姫(やかみひめ)」の里として知られています。全国的にはあまりメジャーではないこの「八上姫」さんは、古事記の「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」で有名な大国主命(おおくにぬしのみこと)と結婚するヒロインとして登場するお姫様です。そして「八上姫」さんを御祭神としてお祀りする「売沼神社(めぬまじんじゃ)」の御神紋が「桜」なんですよ。

―ふることふみ(古事記)の倭ごころ― 最初のお話はやっぱり「稲羽(いなば)の素兎(すうさぎ)―大国主命と八上比売(やかみひめ)―」で始めたいと思います。

みなさんがよくご存知の「因幡の白兎」は大穴牟遅命(おおなむちのみこと)[大国主命の別名]が出雲の八十神(やそがみ)たちのお供で八上比売(やかみひめ)に求婚に行く途中の出来事です。古事記では「稲羽(いなば)の素兎(すうさぎ)」と表記されています。「素兎(すうさぎ)」を「しろうさぎ」と読んだかどうかは研究者の間でも説の分かれるところですが、当時の日本の兎は野うさぎなどのように主に茶毛の在来種で、白い兎は明治以降に輸入された外来種のうさぎです。「素(す)」というのは「白(しろ)」ではなく、童謡にもあるように ♪皮をはがれて赤裸(あかはだか)~♪ と、素っ裸の「素(す)」だったかもしれませんね。

洪水で淤岐の島に流された兎は故郷の稲羽に戻りたくて、和邇(ワニ=サメ)を騙して数を数えながら背中をピョンピョン渡り、あと少しというところで嘘がばれてしまいます。怒ったワニに皮を剥がされて苦しんでいると、そこに通りかかった意地悪な八十神(やそがみ)たちは嘘の治療法を教えます。ますます傷がひどくなり痛くて痛くて泣いていると、遅れて来た大穴牟遅命に助けられ元どおりの身体になりました。たいそう喜んだ兎は、大穴牟遅命と八上比売の結婚を予言してどこかえ消えてしまいました。このことから白兎(はくと)神社や八上比売を祀る売沼神社は、縁結び神社として現在、若い世代を中心に注目を集めています。

白兎神社 売沼神社

八上比売と結ばれた大穴牟遅命は、しばらくの間、稲羽の八上郡(やかみごおり)で幸福な日々を過ごします。河原町内とその周辺には二人が仲睦まじく過ごしたゆかりの地が伝わります。

・円通寺(えんつうじ)(縁通路(えんつうじ))…二人の心が通じ合い、縁が通じたことが由来。 ・長尾鼻(ながおばな)、待合谷(まちあいだに)、飯盛山(いいもりやま)…二人のデートスポット。 ・倭文(しとり)神社…大穴牟遅命が恋文を書いた場所。

しかし、八十神たちは二人の仲を妬み、大穴牟遅命を恨んで迫害を強めます。二人が逃げ込んだと伝わる高尾山、河原町本鹿(ほんが)のその場所には、後に多加牟久(たかむく)神社が建立され、二人が祀られています。そして逃げる途中、駆け上がった坂道には「懸上(かけあが)り」の地名が残ります。(河原町中井)

八上比売より一足先に出雲へ向かった大穴牟遅命は、なおも八十神たちに狙われ殺されてしまいます。母神(刺国若比売(さしくにわかひめ))は天上界に助けを求め、蚶貝比姫(きさがいひめ)と蛤貝比売(うむがいひめ)により生き返りますが、またも殺害されます。今度も母神の助けで復活しますが、このままでは本当に殺されてしまうと、母神は根の堅州国(ねかたすくに)[黄泉(よみ)の国]へ逃がします。

大穴牟遅命が逃げ込んだ根の堅州国は、あの建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が支配していました。その娘、須勢理毘売(すせりびめ)と出会った大穴牟遅命はまたも恋仲になってしまったのです。(八上比売がいるのになんて浮気者なんでしょう!)二人を認めない父は、大穴牟遅命に試練を与えます。須勢理毘売の助けで、全ての試練をクリアした大穴牟遅命は、建速須佐之男命の信頼を得ます。そしてある日、油断して眠り込んだ建速須佐之男命の隙を突いて、須勢理毘売と共に宝器の生太刀(いくたち)・生弓矢(いくゆみや)・天の詔琴(あまぬりごと)をたずさえて、根の堅州国を脱出するのです。駆け落ちってやつですね。(ていうか、八上比売がいるのに!!) そして大穴牟遅命から大国主命となり、生太刀・生弓矢を持って八十神たちを退治し出雲の国造りが始まるのです。

大国主命がそんな酷い目にあっていることなど何も知らない八上比売は(やっと出てきた♪)、二人の間に授かった御子(みこ)と三人で早く暮らせる日がくることを願い、大国主命の便りを待っていました。八十神たちを退治し、国造りを始めた大国主命は、八上比売たちを出雲へ呼びよせますが、嫉妬深い須勢理毘売を怖れて、八上比売は生まれた御子(木俣神(きまたのかみ)=御井神(みいのかみ))を木の股に挟んで因幡に帰ってしまいます。古事記にはこう記述されていますが、実は、出雲市の斐川町(ひかわちょう)や米子市、鳥取市河原町など、それぞれの地元には古事記とは違う神話が伝わります。

八上比売とその御子は、出雲の地で大国主命の国造りを手伝い、その地で幸せに暮らした、または、しばらくして因幡に帰り、因幡の地でも八上比売は霊力をもって、一族で国造りをし八上郡(やかみごおり)を統治した、などなどです。

もともと古事記は、大和朝廷(やまとちょうてい)の正当性と皇室の歴史を後世に伝えるために作られたものなので、都合の悪い部分や、書かなくてもいい部分、書く必要のない部分についてはカットされています。八上比売と大国主命のくだりの詳細がカットされているのは、都合が悪かったのか、必要のない部分だったのかは解明されていませんが、それぞれの地域に残る多くの神話伝説や、古事記の中に見られる、自分から八十神たちの求婚を断り大穴牟遅命を選んだり、はるばる出雲の地まで旅したりと、当時では珍しい自分の意思を持ちはっきりと主張できる自立した女性としての八上比売像が浮かんできます。須勢理毘売を怖れて泣く泣く因幡に帰った悲恋(ひれん)のか弱いお姫様とは考えにくく、あえてそのような表現で記述されていると感じます。

まあ これも地元のひいき目かもしれませんが…
それはさておき、美しく賢くしかも強い女性として伝説が残る八上比売さんのDNAを受け継ぐ(?)河原町民は、これからも河原町の自慢のお姫様として子供たちに語り継ぎ、故郷を愛する心も一緒に受け継いでほしいなぁ~と思う “おっちー”なのでした。 (おっちー)

その弐

2012年3月26日

「古事記」と言うと「日本書紀」と並んで“記紀”と呼ばれる日本の最古の歴史書だということは みなさんよくご存じだと思いますが、なんだかチョット敷居が高い気がしますよね~。 なにを隠そう、うちのスタッフたちも難解にして摩訶不思議な“古事記ワールド”に悩ましい日々を送っています。(笑)「実は私もそうなんですっっ!!」とおっしゃる みなさんに、耳より情報です。今とっても解りやすくて面白い解説本がたくさん出ているんですよ♪ ビギナーズの方にチョットだけご紹介しますね。(と言いつつ、このところ忙殺されているワタクシは最近の解説本は持っていませんが…)

                               

まず、御紹介したいのは角川文庫のビギナーズ・クラシックス日本の古典「古事記」です。この本は書き下し文・現代語訳・解説・写真やイラストでの説明と初心者でも抵抗感なく入っていけるような工夫がありがたいですね。また、目次はそれぞれのエピソードごとにキャッチーなタイトルがつけられていて、思わず読んでみたくなりますよ♪ ただ、古事記全文は掲載されてはいませんので あしからず。

 

次は講談社学術文庫から出ている次田真幸(つぎた まさき)氏著「古事記」(上)(中)(下)です。これは初心者から上級者まで幅広く読まれている正統派の古事記本だと思います。やはり、書き下し文・現代語訳・解説・イラストや図表での説明で全文を丁寧に解説しています。

 次に紹介したいのは文春文庫からの三浦佑之(みうら すけゆき)氏著の「口語訳 古事記 神代篇」、「口語訳 古事記 人代篇」、「古事記講義」です。「口語訳 古事記 神代篇・人代篇」は数年前に出版され、とても話題になったのでご存じの方も多いと思いますが、語り部のような翁が話し言葉で古事記を読み聞かせているかのようで、ほのぼのとした雰囲気が癒されますよ~(*U_U*) 「古事記講義」は専門的に掘り下げて解説したもので初心者にはチョット難しいかもですね。

次は青春出版から出ている瀧音能之(たきおと よしゆき)氏著の「古事記と日本書紀でたどる日本神話の謎」です。「記紀」と称される日本の2大歴史書を総合的な観点から比較検証しながら、それぞれの魅力を謎解きをしながら読み解いていく興味深い1冊です。瀧音能之氏は古代史、中でも風土記や地域史などの資料から出雲や神話の研究者として多数の著書があり、上記の他に「伊勢神宮と出雲大社」、「流れがどんどん頭に入る・一気読み!日本史」、「出雲からたどる古代日本史の謎」など、古代史に興味のある方には是非お勧めしたいものばかりです!

最後に、これも「記紀」の比較解説本ですが青春出版の坂本勝(さまもと まさる)氏監修「地図とあらすじでわかる・古事記と日本書紀」です。みんながよく知る神話のヒーロー・ヒロインから、みんなに知ってほしい知られざる神話のお話をイラストや図表・写真などで解りやすく解説しています。

さあ、みなさんはどれから読んでみますか!?                               古事記編纂1300年のこの機会に日本人の心のルーツを探す旅にご一緒してみませんか!?  (おっちー)

その壱

2012年3月11日

先月の11日、「古事記ワールド その1」というシンポジウムが市内で開催され、コメンテーターとして参加してきました。今月、報告書という形でそれぞれの出演者がシンポに思うことを原稿にまとめました。その内容をご紹介します。

                            

「古事記編纂1300年におもうこと」  風土資産研究会 おっちー

 今回の“「古事記ワールド」その1”は盛り沢山で内容も多岐にわたり、先生方のお話も興味深く本当に充実したものになりました。地元の神話を紹介するというコメンテーターの立場で末席に加えていただいた私としては、一聴衆として講演を楽しみ、自分の出番があるのも忘れてしまうほどでした。

私が古事記に興味を持ち河原町の神話・伝説を調べ始めたのは地域振興の仕事がきっかけですが、調べれば調べるほどに謎や疑問は深まりどんどん引き込まれてしまいました。もともと歴史は好きでしたが古代は少し苦手な時代で、そのうち勉強したいと思っていたところに改めて古事記を読み直すと、こんなにも面白かったのかとその魅力に気付かされました。どこがそんなに魅力的なのだろうと考えてみると、物語の面白さや時代背景・古代人の創造力の凄さや日本人の根源的な精神性や思考・価値観や宗教や社会の構造や……並べるとキリがないほど魅力的なところは挙げられますが、“音”が心地いいのです。(もしかすると、私にはこれが一番かも…)なぜだか理由は分からないのですが、口に出して読むと特に心地いいのです。(何だかピンボケだよと言われそうですが)神々の名や歴代天皇の名・比売たちの名や物の呼び名など、なんとも抒情的で美しい大和言葉の音が心地よく、ストレートに心に響くというか染みるというか。古代史を研究している従兄弟には「そんなの本居宣長が適当に作っただけで本当の古代の言葉でも何でもないよ。」と笑われますが、それでも、本居宣長が作ったことが分かっていても、やはり心地よい“音”に魅了されてしまいます。きっと本居宣長も古事記に魅入られて古代人に思いを馳せて、これだと思う上代日本語の漢字を当てたのではないでしょうか。だから私の心に染みたのかもしれませんね。

そんな訳で“にわか郷土史研究家”として八上比売(やかみひめ)をはじめとする河原町の古代史探索の旅は始まりました。

調べ始めて気付いたことですが、謎や疑問を解明するための参考資料や“生き字引”といわれるような地元の古老の方が意外と少なく(本当はまだ出会えていないだけかもしれませんが…)、なかなか作業ははかどりませんでした。まずは「○○を調べるにはどこに行けばいいか、誰に聞けばいいか!!」情報収集のための情報収集をと町内のいろいろな方に尋ねてみましたが、ある一定のところまでたどり着くとそこから先は行き止まりの状態で、解明どころか謎が増えるばかりでした。そんな2年半が過ぎて昨年、ジグソーパズルのピースが自分の場所を見つけるように少しづつ少しづつ形を成してきました。これこそまさに人との出会いがなせる技とでもいうのか(きっと八上比売さんの縁結びの御利益です!!)、思いを同じにする方々との必然的ともいう出会いで、足踏みしていた私の研究は大きく前進しました。その中の一つ「霊石山の御子岩の名前の謂れ」について“「古事記ワールド」その1”でお話ししました。

霊石山の天照大御神の降臨伝説や「もう1つのシロウサギ伝説」は地元の人はもちろん、最近では八頭町さんの観光政策や郷土史研究家の新 誠氏のご尽力で一般の方でも知るところとなってきましたが、御子岩の名前の謂れに神功皇后や応神天皇が関わっていることを知るのは霊石山の河原町側の麓の片山地区の方たちくらいでしょうか。

霊石山に伝わる神話・伝説・史実に基づいた歴史はたくさんあり、因幡の国中(くんなか)平野の中心に鎮座するこの山の神話・伝説を調査することは古代の因幡国やそれを取り巻く周辺諸国、また中央(朝廷や時の権力者)との結びつきや大陸との交流までをも解き明かす貴重な証拠の発見につながるような気がします。

そしてもう一つ、八上比売と売沼神社のお話。みなさんよく御存じの「稲羽の素兎」の大国主命と結ばれるヒロイン八上比売は全国的にはあまり知られていません。鳥取でも最近(3~4年前)までは知る人も少なく、実は私も河原町に勤務するまで(5年前)八上比売のことはボンヤリしか知りませんでした。

謎の多い比売で(研究者があまりいないので余計に謎めくのでしょうか!?)古事記の記述にもほんの数行しか登場しません。そして、解説本を読んでもほとんどのものが悲恋のか弱い比売、子捨ての比売と残念な見解です。確かに古事記をそのまま直訳するとそうなるのでしょうが、文章を丁寧に読み解けば当時では珍しい自立した女性像が浮かび、地元にはそのとおりの伝説が伝わっています。また、出雲市や斐川町など八上比売が訪れた地域にも古事記には記されていない伝承が残っています。八上比売と八上比売を祀る売沼神社の七不思議については、次回の“「古事記ワールド」その2”でお話する時間があればということにします。

まだ八上比売に関わる全てのジグソーパズルのピースが集まったわけではなく、手元にあるピースもどの伝承のどの部分か解らないものもたくさんありますが、河原町に伝わる多くの口碑の類が枝葉の部分で他の伝説と微妙にシンクロしているのです。まだ手をつけられずにいる土蜘蛛伝説や景行天皇記などは河原町内だけではなく八頭町・用瀬町など古代八上郡(やかみごおり)のエリアにまたがり、八上比売とも無関係ではない要素を含んでいるようです。なにぶん駆け出しの郷土史研究家なのでヒットするまでに時間がかかりそうですが、巡り合わせとしか言いようのないタイミングで知り合った方たちにヒントを頂いたように、人との出会いを大切にしていけば本当に知りたいことにたどり着ける気がしています。

なんだか話がそれてしまいましたが、知りたい気持ちを町の人に伝播することも大切な一つかもしれません。実は昨年、「かわはらジモティー倶楽部」という郷土史研究会を立ち上げました。出来たばかりでメンバーはまだ8名しかいませんが、“知りたい気持ち”を持っているのが私の他に7人もいるなんて(本当はもっとたくさんいるのに出会えてないのかもですが)スゴイことです。

郷土史を調べ始めて気付いたことが、もう一つ。町内の子供たちや親世代、そのまた親世代でも町内の歴史、特に神話・伝説の類を知らない方が多く感じました。また、知っていても“なんとなく”で正確にご存じの方は少なかったのです。これは河原町に限った事ではないのかもしれませんが、生まれ育った故郷の歴史を知ることはとても大切なことだと思うのです。自分たちのルーツを知ることは、そこに一緒に暮らす家族や親せきや隣のおじさんやおばさんとの絆の発見であったり、特に子供はコミュニティーの一員であることの自覚や自信・誇りを身につけ郷土愛へと成長していくような気がします。

そうなればこっちのものです。地元住民の郷土愛こそ地域振興の大きな原動力です。仕事がきっかけで始めた郷土史研究ですが、仕事の枠を飛び出してしまった今、時々どこに向かっているのか分からなくなる時がありますが、きっとどの道を通っても結局は地域振興につながるように出来ているんだろうなと思うのです。

“歴史の真実を顕彰して古代因幡の実像を明かにする”と、文字にすると大それたことに聞こえます。それもそうでしょうが、 “知りたい気持ち”という単純にして明快な理由で同じ思いの仲間たちと謎解きに挑戦する、そしてそれをみんなに伝えていく。これもまた単純明快な作業です。このような活動を仲間を増やしながらこれからも楽しく続けていくことが出来れば、河原町は今以上に素敵な日本の“ふるさと”になると思うのです。

  

 長い文章を最後までお読みくださって、ありがとうございました。(おっちー)